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「ブル新」というコトバがあった。「ブルジョア新聞」の略で、かっての学生活動家が使った。大学のバリケード封鎖が日常的だった頃、朝日や読売の記者が取材にきて名刺を出すと「なんだ、ブル新か」なんて言ってたものである。そう言われた記者の側も、申し訳なさそうな顔をした、そんな時代だった。
じゃ、「ブル新」つまり、ブルジョア=資本の側から広告をもらっている商業主義ではないメディアがあるのかというと、それは活動家が所属する党派の機関紙のことなのである。「解放」とか「前進」とか「叛旗」なんて威勢のいい名前がついていた。
日の丸や君が代を強制するのに反対する人たちが、じつは別の赤い旗なんかへの忠誠を強要するようなもので、そんなものはどっちにも「ナンセンス!」と言ってやればいいのである。おっと、「ナンセンス」も当時の活動家の使った相手を否定する常套句である。
その「ブル新」というコトバを久し振りに思い出した。原発をめぐる新聞報道を読んでいてのことである。やはり彼らは、電力会社、そして原発のプラントを製造している東芝、日立、三菱という資本の側の飼犬である。
スターリン並みの強制移住で老人が次々と「原発関連死」に追い込まれているのにまだ「科学の力で乗り越えられる」なんて脳天気な主張をしている。じゃ「ブル新」じゃないメディアはあるのか。ネットを評価する人はいるがどんなものか。ネット右翼というらしいが、知性も何も無い連中のタワ事ばかりが溢れているではないか。
私のようなアナログ人間はやはり活字を求める。『読書人』の4月22日号には、ジャーナリスト上杉隆の「マスメディアへの提言」というインタビューが一面トップだ。彼は今回の原発を巡る報道で”ブル新”に愛想を尽かして、引退宣言までしている。
『図書新聞』の4月23日号は、評論家の関曠野の特別寄稿がトップだ。「計算不可能な原発事故のリスク、原発はテクノロジーの名に値しない極端なアクロバットだ」とある。
2誌とも昔から続いている書評誌だ。広告主は出版社ばかり。出版社は大手数社を除けばプロレタリアートと言ってもいいような零細企業ばかり。だから「ブル新」には言えないことがちゃんと出ている。
問題は本の好きな人向きだから、独特のインテリ臭さがある点だろう。関氏の文章なんかチンプンカンプンという人が多かろうが、その主張は見出しだけで十分判る。
2誌とも週刊。本屋の雑誌コーナーの片隅にあるはずだ。反原発を抑え込むためなら、金でも暴力でも惜しむことのない”ブルジョア”に潰されてしまう前に目を通されんことを。
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