■■■■
「ブリコラージュ」9月号に、ロシア、特にエルミタージュで考えたことを、老人介護の世界に引きよせて書いているのでぜひ一読を。
そこで私は「ヨーロッパ文明はすごい。しかしそのヨーロッパ文明にコンプレックスを抱いた奴はもっとすごいことをする」と書いた。
あの飽くなき美術品の収集はいったい何だ?という私の疑問に、ツアーで同行した土井新幸さん(ブリコラージュ 2005年7・8月合併号に登場した”寅さん”)がこういうのだ。
「仏教のすごいところは権力者にさえ、無常ということを知らしめたことではないか」と。
そうか、日本人なら途中で虚しくなってやめるだろう。往くだけではなくて、還り道があるのだが、西欧にはそれがない。”神の国”めざして往きっぱなしである。
アメリカやイスラエルといった西欧よりもっと”西欧的”な国家のやり方を見ていてもそう思わざるをえない。
エルミタージュ美術館でほっとできたのは印象派のコーナー。それに私の大好きな、スーチンの「自画像」に会えたのは予想外の喜びだ。
しかし、スーチンくらいエルミタージュに似合わない画家もいないだろう。
■■■■ 三好春樹
※----シャイム・スーティン(ハイム・スーチン、カイム・スーティン)
1893年1月13日
- 1943年8月9日)は、20世紀の画家で、リトアニア出身のユダヤ人だが、おもにパリで活動した。エコール・ド・パリの画家の一人に数えられる。
1893年、リトアニアで11人きょうだいの10番目として生まれた。父が修繕屋をしていたスーティン家は、村でももっとも貧しい一家だったという。1913年、パリに出たスーティンはしばらくコルモンのアトリエ(画塾)に通い、集合アトリエのラ・リュッシュ(蜂の巣)の仲間と交際するようになる。特にモディリアーニは彼の面倒をよく見たという。藤田嗣治とも親しかった。
フランス人のポール・ギヨーム、ポーランド人のズボロフスキーなど、スーティンの絵を扱う画商はいたが、彼の絵はなかなか売れず、生活は相変わらず貧しかった。そうした中、1922年、「バーンズ・コレクション」で名高い、アメリカの大コレクター、アルバート・C・バーンズが、ギヨームの画廊を訪れ、画廊に掛かっているスーティンの全作品を3千ドルで買上げた。突然「巨匠」になったスーティンは、絵が売れ出してからは豪邸に住み、運転手付きの生活を送ったという。