二流国家同士のケンカ

* 日中問題の本質とは何か *
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私が責任編集している月刊誌BRICOLAGEでの連載に、「外国人労働者導入反対の根拠」(4月号)、「近代主義者には困ったものだ
ー領土問題と老人問題ー」(5月号)と2回連続して時事問題に触れたものを載せた。
これを面白がる人が多くて、他の政治や社会問題についても、三好ならどう考えるのか、という質問が寄せられるようになった。
「近代的なナショナリズムから自由な立場からは、現在の日本と中国の間の問題はどう捉えるのですか」というのは、あるグループホームのスタッフからのものである。
ここまで来ると老人介護とは直接関係なくなってくるので、BRICOLAGEではなくて、ホームページに回答を載せることにした。
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日中間の問題は、一言で言えば、二流の国家同士のケンカである。5月号で私は国家をヤクザに喩えた。ヤクザに叱られるかもしれないな、と思いつつ。どんなひどいヤクザでも国家がやるような大量殺りくはしないものなぁ。
国家の課題はヤクザ的でなくなることしかない、と書いた。ところが日本も中国も、もっとヤクザ的になろうとしている国家でしかない。
日本が何よりもダメなのは小泉の靖国参拝である。中国や韓国が反発するのは当然だが、だからダメなのではない。これは近代国家としての原則を破壊するものだからダメなのだ。
政治と宗教の分離は近代国家の原則である。政教分離は、基本的人権や三権分立と並んで、国家が少しでもヤクザ的でなくなるための歯止めである。
小泉個人がどんな宗教に熱を入れようがそれは自由である。彼が個人として、オームの信者になろうが、どこの神社仏閣、イワシの頭に参拝しようが文句を付ける筋合いはない。
しかし国の代表が特定の宗教に肩入れするのはどう考えても憲法違反である。非宗教的施設を作って参拝すべきだ、というまっとうな答申が出てるにも関わらず、この国は無視し続けている。小泉とそれを選んでいる自民党、日本の有権者は民主主義の基本を自ら踏み外しているのだ。
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ところで中国政府はといえば、これが日本の憲法に違反しているからけしからん、とは言えないのだ。なにしろ、中国の国家こそ宗教国家だからだ。
社会主義という宗教と政府が政教一致していて、他のものは認めないという前近代国家なのである。日本が政教分離の原則を侵したといって非難すれば、おまえたちのほうがもっとひどいじゃないかと言われかねないからだ。
だから彼らは、宗教施設への参拝そのものではなく、その施設に戦犯が祭られているから、というのを批判の根拠にしている。
しかし、たとえ戦犯が祭られていなくたって、これは民主主義の破壊なのだ。でも中国政府は「民主主義」を理由に批判はできない。この国には政党政治も報道の自由もないのだから。
だから”国民感情”をその根拠にするよりないのである。
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ただこの”国民感情”は当然のものである。第2次大戦での各国の戦死者数を見てみるといい。中国の死者は日本の比ではない。日本が勝手に始めた戦争で、何の罪もない人が大量に殺され、国土を荒らされたのだ。
「欧米の包囲網によって戦争するよりなかった」と開戦を正当化する人もいるが、国際社会から非難、包囲されるようなことを韓国や中国大陸で長年やってきたからではないか。
それに「戦争」という絶対悪以外の選択肢はいくらでもあったのだ。
いったい戦争はどこで行なわれたのか、第2次大戦の末期を除けば、日清戦争も日露戦争も含め、すべて日本の国境をはるかに離れたところで行なわれている。
日清や日露の戦争を日本が近代化する過程であると美化する史観すらあるが、とんでもない話だ。勝手に戦場にされた人々の立場からこそ評価すべきであろう。
この国では昨今、犯罪者の人権ばかりが大事にされてきた、として、被害者の人権を守れという声が出ている。ところが戦争については、加害者の側の一方的意見が教科書に載ったりしているのだ。
加害者に犯罪(戦争)を語る資格はない。 私が文部大臣なら、歴史教科書の近・現代の記述は、ユネスコのような国際機関に依頼して書いてもらうことにするね。
それが最低限の倫理だろう。
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韓国と中国の立場が感情的だとして批判するわけには行かない。この感情には歴史的根拠があるからだけじゃない。小泉政府の側も感情を根拠にしているにすぎないからだ。
政教分離の原則を破り、さらに司法の側からの憲法違反との意見にも耳を貸さない、つまり三権分立さえ無視して行われている靖国参拝の根拠は”国民感情”以外にない。
”国民感情”を大事にしたいのなら、まず被害者の側の国民感情を大事にすべきなのだ。歴代の総理は何よりまず、韓国や中国の戦没者にこそ参拝すべきだろう。
私なら、むこうから、もう来なくていい、と言われるまではやるべきだと思う。そうすれば私は、韓国も中国も、戦犯も含めた参拝にも反対なんかしないと思う。
なにしろ近代の戦争は国民を総動員するものだから、どこまでが戦犯かはっきりしない。戦争を止められなかった日本人みんなが戦犯だと言ったってもいいのだから。
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国家の課題はヤクザ的でなくなることしかない、と書いた。そんな国や徴候があるのか、と聞かれたら、私はポーランドの「連帯」の運動や、EUに注目したいと思う。
EUは国家が自己否定していこうとするものではないか。もしそうだとしたら、それはヨーロッパの絶望が原動力だと思う。当時としては世界で最も民主的だったワイマール体制のドイツがナチスを生み、ユダヤ人虐殺を作り出した。その絶望だ。
絶望が足りないのはアメリカだ。民主主義の国が民主的に大量殺りくを始めている。しかし救いなのは、それに反対する人たちの言論や行動の自由があることだ。
どこかのように小泉政権の政策に反対だというだけで「反日分子」と言われるような、全てを同じ色にしてしまおうとするような国とは違うのだ。同じヤクザでも余裕がある。
絶望が足りないのは日本だ。戦前の日本には民主主義はなかった。だからあの戦争は、国民の意思ではなくて、一部の軍国主義者のせいだとされてきた。
しかし私は、もし戦前に参政権があって、報道の自由があったとしても、同じことをやったと思うね、だって今のマスコミの報道を見てみよ。ナショナリズムそのものではないか。
まことに、近代国家とマスコミの成立はセットであることがよく判る。
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ワイドショーで中国のデモを見ていた女性経済評論家が「日本人をナメンなよ」と言っていた。「ナメンなよ」と言いたいのは、国境を越えてやってきた日本人によって戦争被害を受けた人たちが小泉に対していいたいコトバだよ。あんたは家計簿の話をしてりゃいいの。
いつもは反権力的な発言をしている(いかにも権力的な)コメンテーターが「中国の人たちも日本の商品をほしいんだったら、こんなことはやめるべきだ」と発言していた。
おいおい、物質的幸福のためならプライドを捨てろと言ってるのと同じじゃないか。日本人はいつからこんな鈍感で無神経な人間ばかりになったのか。
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救いはある。反日デモの最中に、日系スーパーの開店にやってくる中国のおばちゃんたちだ。韓国で反日気運が盛りあがっているのに韓流ブームで男優に会いに出かけていく日本のおばちゃんたちである。
外交にも政治にも興味がなくて、ナショナリズムのマスコミなんかに振り回されたりしない”意識の低い”人たちこそ救いである。”意識の高い”人による反戦運動なんかより、彼らの国家との距離の長さ、政治への無関心と、自分の生活だけへの関心が戦争の抑止力だ。
マスコミと言えば、ホリエモンに支配されそうになったときのフジテレビ関係者が急に「ジャーナリスト精神」なんて言い出したのには驚いてしまった。ライブドアになったらテレビが”ジャパネットたかた”みたいになってしまう、といって批判し、ジャーナリズムを守れ、なんていうのである。
よく言うよ。女性アナウンサーに軽薄なことをさせるのと、フジサンケイグループ全体でのナショナリズムの片棒をかつぐだけのジャーナリズムなんか、なくなったって誰も困らないぜ。
それより一日中音楽を流してたり、”ジャパネットたかた”みたいな通販を24時間やってるチャンネルのほうがよほど生活者の役に立ってるよ。
『国は滅びても商売は残る』。私の好きなコトバである。
商売のほうが歴史的には国家よりはるかに古い。つまり人間にとって普遍的なのだ。
ましてや近代国家なんぞ。
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二流の国家に私たち国民が振り回されるのはえらく迷惑である。しかし、「国民」という形でしか地球上に存在できそうにない歴史的制約を嘆くより他にあるまい。
二流の国家の三流の官僚たちに介護現場が振り回されるのも、嘆くより他にないのだろう。それにしても、回廊式施設、天井送行入浴システム、全室個室、ユニットの強制、そして筋トレと、厚労省の誤りはいつまで続くのか。
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