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BRICO 2001年6月号より
「特養ホームの全室個室化に反対する」
新聞報道によると、厚生労働省は特養ホームを全室個室化する方針であるという。ほんとうに行政はつまらないことばかりするものだ。
かつて、特養の一部の部屋を個室にしたいというと「ぜいたくだ」と言って認めなかったのも行政だし、いままた、全て個室にせよと言って特養の独房化を強制するのも行政である。私は一貫して全室個室化には反対してきた。もちろん、「老人にはぜいたくだ」なんて理由ではないし、「職員が労働過剰になる」といった一方的な労働者の側に立った意見からの反対でもない。
全室個室化が、いいケアをすることを阻害するからである。つまり、老人と家族のニーズにほんとうに応えることは、全室個室では難しいからだ。
おそらく、老人問題を語りたがる評論家やジャーナリスト、市民主義者たちは、この全室個室化に賛成して「早くやれ」と厚生労働省をせっつくだろう。彼らのそうした意見を採り入れて、全室個室を売り物にした施設が全国にいくつもつくられた。しかし彼らは「老人問題」は語れても「老人介護」には興味のない人たちである。現場の私たちは彼らを「同伴文化人」とか「便乗文化人」と呼んでいる(それにしても、かつて「同伴文化人」とは労働者運動に“同伴”する人への皮肉であったが、それが現在では老人介護で語られるようになったとは!)。
彼らには特養ホームに入所してくる老人のニーズがわかっていない。「自分が入りたくなるような施設を」なんて言って、現在の自分の意識状況、つまり、高学歴で高収入のインテリの自意識を基準にして、特養入所老人のニーズを推し計られたのではたまったものではない。特養ホームに入所せざるをえない寝たきり老人や痴呆性老人のニーズとはどんなものか。秋田県のある特養ホームでの話である。入所した女性がたまたま空いていた1人部屋に入った。しかし、入所時についてきた娘さんたちは、4人部屋があるのを見て、「なんでうちの母だけ淋しい1人部屋に入れられるんですか」と“抗議”したという。本人も「みんなといっしょがいい」と言って、数日後、晴れて4人部屋に転室となった。
生活とリハビリ研究所の主任研究員、上野文規氏がその設計段階から関わった大阪市の特養ホームは、1人部屋、2人部屋、4人部屋があるが、入所してくるお年寄りの希望を聞きながら部屋を決めていくと、4人部屋から埋まっていったという。
こうした事実は、日本の特養入所老人が、文化人の言うのと違って、個室によるプライバシーの確保より、もっと他のものを求めていることを教えているだろう。
それは特に深い痴呆性老人への関わりを探ってきた現場の人には自明のことのように思われる。深く呆けた人ほど、個室は孤室や独房と感じられ、関わりを求めて、人の声のするところ、明るいところへと集まってくる。夜ともなると、与えられた“個室”を抜け出して、寮母室の中で3〜4人がくっついて、はじめて安心して眠りにつく、なんてことが毎晩行われているのだ。そんな介護状況を知らない行政は、痴呆性老人をケアするグループホームまで個室でなくては認めない、と言っている。現場の私たちはやむなく、役人のチェック時に個室にし、老人入所に合わせて壁を取り除く、なんていう無駄なことをせねばならなくなる。おそらく今後建設される多くの特養ホームでも、そんな膨大な無駄が生まれるだろう。
私たちは個室があることには反対しない。個室が必要な人はいる。特にパーキンソン病の人や下半身マヒ、四肢マヒの人たちは、自律神経に障害があって体温調節が難しいから、室温調整に湿度調整までできる個室にすべきだと思う。また、老いてなお近代的自我から脱却していない都市のインテリ老人たちにも個室がいいだろう。呆けに至るまでの間は。
そして私たちは、大部屋がいいなんて言っている訳でもない。雑居か個室かといった二者択一をやめよう、と提案しているのである。
日本の老人、とくに呆けた老人が落ち着くのは、何をしているかはわからない、つまりプライバシーは守られるが、人の気配がある、といった空間である。ちょうど、フスマや障子で区切られている日本の家屋がそれにあたる。
だから、先に挙げた大阪市の特養ホームを始め、私たちが介護アドバイザーをさせてもらう施設の居室のメインは、4人部屋でありながら、引き戸を引くと1人の空間になる、といった構造のものである。大阪市のその施設では4人の空間の一つひとつに外に面した窓がある。これは私たちの考えに共感してくれた熱心な設計士さんの努力のお陰である。厚生労働省は、大部屋を強制することも、個室を強制することもすべきではない。文化人や市民主義者は、自分たちの近代個人主義という理念を大事にするあまり、特養入所老人の実態に合わない全室個室化を、行政の権力を使って推進すべきではない。
老人のニーズを知っている現場のいろいろな工夫と、家族、老人の選択に委ねるべきである。