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  ● 経済よりいのち 原発より介護
  ● 安価な電力 安価ないのち
  ●金と嘘と暴力で作った原発に
                さよならを

  ● 命と自然を 売るな、買うな

  

 



 
 
野生の介護
       認知症老人のコミュニケーション覚え書き

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ブリコラージュに連載してきた「認知症老人のコミュニケーション」が本になりました。 『野生の介護』は、もちろん、レヴィ=ストロースの『野生の思考』に倣ったもの。 おお、レヴィストロースに申し訳のない題だ。ま、私の遺書だから許してもらおう。

彼は、近代人の思考が「栽培の思考」や「家畜の思考」になってないか、と問いかけた。 私は、マニュアルどおりで、「様付け呼称」を強要する介護が「栽培の介護」「家畜の介護」になってはいないか、と危惧して、恐れ多いのを承知で、編集者からの提案であるこの題を承諾した。

介護の本とは思えない装丁だが、中身もまた、介護の本とは思えないはずだ。

 


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 雲母書房2015/11/10
 三好春樹
 定価 本体1,500円+税
 サイズA5判 / 並製
 ページ数208頁
 ISBN-13978-4-87672-342-3
 ISBN-104-87672-342-7


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 ちょっと立ち読み

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  ▽ はじめに
 
偶然、介護の世界に迷い込んでから41年が過ぎた。〈老い〉とは何か、〈介護〉とは何かに興味津々でここまで来た。

しかし〈介護保険〉という〈制度〉にはほとんど興味は湧かず、介護業界ではすっかり時代遅れである。なにしろ、自分自身が〈老人〉に分類される歳に達してしまった。

でも私は、〈時代遅れ〉にこだわり、そのことを誇りにしてきた。さらに〈老い〉を内側から体験することができるようにもなった。そんな私が、介護職と介護関係者への〈遺言〉のつもりで書いたのがこの本だ。

認知症への見方、関わり方を、深いところから変えていく一助になればと密かに念じている。

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  目次 PDFで参照

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  ▽ 暗喩としての「権力者」の課題

『高校紛争1969〜1970』(小林哲夫、中公新書、中央公論新社)という本が出版された。といっても、私と同じ年代で、しかも観念的に早熟だったという人くらいしか興味はないかもしれない。ましてや、若い介護職は何のことやらと思うだろう。

歴史は勝った側の権力者によって書かれる。ゆえに〈高校闘争〉でなくて〈高校紛争〉となる。それはしかたない。この本には当時、同世代=同時代でありながら私たちもほとんど知ることのなかった全国の高校生運動が紹介されている。

かつて高校生活動家で、現在名が知られている人は多い。音楽家の坂本龍一、作家の村上龍、高橋源一郎、さらに、活動家ではなかったみたいだが、俳優の石田純一の名前も出てくる。じつは私の名前も出てくる。刊行前に著者が私のところに取材に来た。だから、この本が刊行されると私にも一冊、送られてきたのだ。

読んだ感想はというと、当時を思い出して血湧き肉躍る、ほど私は単純ではない。郷愁に浸るというわけにもいかない。なにしろ、あの体験とその後の人生は、60歳を過ぎた今でもその意味を私に問い続けているからだ。

その60歳を過ぎた私はこの本をどう読んだか。途中で気がついたのだが、私は高校生活動家ではなくて、高校教師の側に立って読んでいるのである。京都府立桂高校の高田という教師の話か出てくる。

高田直樹は、(中略)封鎖中の生徒部部室に窓から出入りした。机の上にインスタントーラーメンがあったので、高田は「これ、食べるぞ」と作りはじめた。全闘委は高田に声をかける。
 「僕たちの主張に基本的に賛成か」
 「よう、わかる」
 「では、僕たちと一緒に闘ってください」
 「アホか、お前らと俺は立場が違う」
 校長は生徒部部室に高田が出入りしていることを知って、封鎖した生徒の氏名を尋ねる。
高田は「そんなことを調べるために入ったのではない」と答えなかった。

魅力的な人物ではないか。私にも忘れることのできない教師が2人いる。一人は定年を過ぎて私たちの高校で現代国語を教えていたNという人である。教科書を題材にしなからじつに楽しそうに無駄話(当時の高校生にはそう思えた)を続ける人たった。受験テクニックなんか教えるわけではないから、生徒はみんな英語や数学をやっているのだが、何かあっても注意ひとつしない人で、私はこの無駄話がおもしろかった。おそらく熱心に聞いていたのはクラスで一人、私だけだったろう。

闘争が始まると、大学で党派活動をしている先輩(その後、内ゲバで指名手配された)に連れていかれたのが、そのN先生の家の書斎だった。それ以来、N先生は私たちのスパイになった。毎晩遅くまで職員会議が続いていた。なにしろ毎日生徒集会で授業にならないのだ。その対策を話し合っているのである。

職員会議が終わってN先生が帰宅した頃に、私たちがバイクで訪問する。そして職員会議で話し合った内容を教えてもらうのである。そして帰るやいなや、私かガリ版で翌朝校門で配るチラシを書き始める。次の日、教職員は自分たちの対応策が筒抜けなのにびっくりするのだ。

もう一人はKという音楽の教師である。進学校での音楽の時間も、当然ながらN先生の授業と同じように。内職゛の時間だと思われている。
私は音楽だけはずっと満点で、合唱部にも入っていたから向こうは私のことをよく知っていたはずである。

その私が校長室を占拠して閉じこもっだと聞いて、夜中に訪ねてきたのだ。体育の教師が棒を持って襲ってきたこともあったので警戒したが、K以外には誰もいないようだ。校長室のソファに座って、彼は私たち一人ひとりに尋ねた。「なぜこんなことをするんだ。家族も呼ばれてこのままじゃ処分されてしまう。展望もないじゃないか」と。

高校生の私たちはそれぞれ自分の思いを語った。彼は黙って聞いていたが、一言「実存主義的なんだなあ」とだけ言って校長室から出ていった。

本に出てくる高田、そしてKも、今の私よりは若かったはずだ。N先生だけが私と同じくらいだったか。果たして私たちは、生意気な若者の自己主張に対してこんな反応ができるだろうか。

教師は高校生から見れば権力者である。なにしろ評価権をもっている。クビにだってできる。実際に私を含めた何人かはクビになった。権力者にできるまともなことは、少しでも権力的ではなくなることだ。権力をもたされながらも非権力を目指すという矛盾を生きることだ。

介護職もまた要介護老人から見れば権力者である。〈生意気な高校生〉を〈認知症の高齢者〉と言い換えてみれば、私たちの課題が見えてくるのかもしれない。つまり、認知症老人とのコミュニケーシ
ョンという難関と、架け橋である。


            【 野生の介護より抜粋 】




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