最初に記しておかねばならないのだが、この本は1984年5月から2007年6月の間に書かれた文章である。それぞれ8冊の本に収録されていたものを1冊にまとめたものだ。
8冊の本で絶版になっているものは1冊もないのだが、あえていま、それを1冊の論集として出版するのには理由がある。
まず、当時に比べて認知症老人の存在は世間に広く知られるようになった。認知症老人にどう関わればいいのかについても、当時とは比べものにならないほど多くの本が出版され研修会が開かれている。
けれども、その大半は医療モデルでとらえられた認知症論である。そして人々は、その医療によって認知症が解明され、解決されるだろうという幻想をもっていて、その医療モデルに頼ろうとしているように見える。
しかし、介護の側からの生活モデル、さらには人生モデルからの見方に比べると、医療の認知症はあまりに狭く浅いと言わざるを得ない。必要なのは医学という一面からだけではなく、人間学ともいうべき多面的で立体的な見方である。
最新の知見をつねに追い求めていく近代医療の世界からすると、25年も前に書かれたものは陳旧なものであろう。しかし、時代が表層的な流行に追われ、より皮相な人間観をつくり出しているとするなら、これらの文章はより深いところからの発言になっているのではないだろうか。
私はかつての自分の文章を何度も読み返し、認知症のケアが切実に求められている現在にこそ書店に並んでいるべき本ではないか、と思うに至った。その判断が自惚れであるかどうかは読者の判断に委ねたいと思う。
少なくとも、2003年に刊行されて、いま認知症ケアではもっとも読まれている拙著『痴呆論――介護からの見方と関わり学』(雲母書房)と並んで、2冊の本を介護現場に届けることができたことは、私の喜びであり誇りでもある。
なお、本書の標題では「認知症」を使用したが、本文では原文と同じく「痴呆」や「呆け」をそのまま使用している。でもその表現に差別的なニュアンスがあったとは思っていない。むしろ現場では、イノセント(純粋、無垢)な存在だと感じていたと思っている。その感覚を介護現場と世の中に取り戻すことができないか、と私は夢想している。
「三好はもう創造的な仕事はできなくなったから、過去の遺産でメシを食おうとしている」という批判は全面的に受け入れたい。なにしろ、こんな齢まで生きるとは思わなかった。詩人と革命家は38歳で没するものと思っていたくらいである。もちろん、私は詩人でも革命家でもないが。でも、創造力はなくなっても、自らの老いという新しい体験を加えることで、また新しい表現ができるかもしれない、と考えている。
2009年 元旦