千葉県教委の指導力不足解雇攻撃をはねのけ、
O 組合員の現場復帰 勝ち取る!
不当弾圧と闘いの経過報告
千葉学校労働者合同組合
2007年1月4日八街市教育委員会(八街市教委)は、2005年度から「特別研修教員」(指導力不足教員)にでっち上げていたO組合員の解雇を求める「研修状況報告書」を千葉県教育委員会(県教委)に出した。
この厳しい状況の中で、O組合員と学校合同(千葉学校労働者合同組合)の闘い・吉川県議・全学労組(全国学校労働者組合連絡会)を始めとした全国の闘う仲間の支援で、3月7日、4月からの
職場完全復帰を勝ち取ることができました。
ご支援ありがとうございました。
以下、この不当弾圧と闘いの経過を報告します。
1: 教員世界のいじめ・排除事件
Oさんは、10年ほど他市の学校で勤務の後、2004年4月、八街市立N小学校に着任した。3年生の担任になったが、「仮説実験授業」など教科書にない学習を積極的に導入するなど、研究熱心で意欲的な学級運営をしていた。
ところが、その積極的学級運営にHT校長(当時)・Y教頭が文句をつけ、管理職の意のままにならないOさんを問題視するようになった。管理職は、八街市教委を抱き込み、保守的なPTA幹部にも働きかけ、Oさんのあら探しを行い、いちゃもんをつけ、授業・学級運営への干渉を執拗に続けた。
HT校長は、2005年2月には、Oさんを「指導力不足」教員として、「特別研修教員」にするよう調書を書き、八街市教委の申請書に添付した。
2: 詳細な反論は検証されず、「特別研修B」の決定
Oさんは、県教委の「特別研修教員」判定会に、詳細な意見書(反論書)を提出し、HT校長のでっち上げ調書のうそを暴露した。
しかし、県教委は、Oさんの事実にもとづいた詳細な反論を何ら検証することなく、八街市教委のでたらめ申請書を全面的に認めて、「特別研修B」との決定を下した。
結局Oさんは、2005年4月から勤務校を追い出され、千葉県総合教育センター(以下「センター」)で1年間の「特別研修」を受けさせられることになった。
3: センターや他市では高い評価
Oさんは、センターではレポートを量産し、示された課題は順調にクリアした。
9月にあった船橋市の学校の障害児学級での実践研修でも、子どもたちや担当教員、管理職から積極的な評価をもらった。
4: 八街市の学校では、不可解な実践研修の途中打ち切り
10月に行われた八街市での実践研修(2校)では、子どもたちとの関係や授業はうまくいった。子どもたちに書いてもらった授業後のアンケートでも、おおむね好評だった。 ところが、参観した八街市教委の指導主事たちや校長らは、あら探しのけちつけを行い、2校とも終了日前に突然の実践研修打ち切り命令が出された。
5: 不公正な判定会で、「特別研修A」を決定
Oさんから相談を受けた学校合同は、それまでの動きを分析し、県教委に申し入れを行い、Oさんの判定会に同席することを要求した。しかし、このまっとうな要求は無視され、県教委による独自の事実調査もなかった。
その後、自己情報開示で出てきた八街市教委のでたらめ「研修状況報告書」(センターでの研修継続を要求)への事実にもとづく反論の提出や県教委との話し合いを続けた。
2月末の県教委の判定結果は、決定理由は示されずに「特別研修A」(在籍校での研修継続)という不当決定であった。
6: HY校長による守秘義務違反と授業外し
O組合員は、2006年度も「特別研修教員」として、不当な立場を強制されていたが、八街市立N小学校で、子どもたちと活動できるようになった。
しかし、八街市教委とN小のHY校長が、学校合同による交渉要求を理由なく断り続け逃げ回っていたことに象徴されるように、八街市教委やHY校長に率直な誠意は全くなかった。
HY校長は、6月下旬、守秘義務違反を犯しPTAをあおり立てO組合員への排撃行動を引き起こした。それを口実に、O組合員から授業を取り上げ、1学期末まで放置した。
学校合同は、八街市以外の学校への異動を要求したが、結果は、八街市立K小学校への研修校の変更(籍はN小学校)となった。
7: K小での「研修」にも八街市教委のけちつけは続く
9月から勤務したK小学校では、O組合員への同僚や管理職の日常の対応はよかったので、学校合同としては様子を見守り続けた。
交渉を逃げ回り続けた八街市教委は、県教委にいわれて、学校合同と9月22日にしぶしぶ「話し合い」をもった。(交渉には頑として応じなかった)しかし、A学校教育課長は、K小への研修校の変更を、O組合員の授業力がないから移したなどと、厚顔無恥に言い張るなど、O組合員への敵意むき出しのレッテル張りの姿勢は変えることがなかった。
八街市教委とHY校長のO組合員排除の態度は変わらず続いていた。
11月にも、交渉要求を再度送ったが、なしのつぶてだった。
このような状況から、八街市教委による不当解雇要求の可能性が予想されたので、しばらく行動を控えていた八街市教委への直接交渉申し入れを12月13日に行った。
ところが、12月22日、八街市教委はO組合員へ突然の研修先(勤務校)の異動を通告してきた。
8: 八街市教委、O組合員の解雇を要求する。
学校合同は、吉川県議(無所属市民の会・市民派)に依頼し、12月26日緊急に県教委の教職員課長と話し合い、突然の勤務先異動通告の不自然さを追及した。
12月28日、八街市教委は県教委の指示で、1月4日提出予定のO組合員の解雇を要求する八街市教委の「研修状況報告書」(以下「解雇要求書」)を本人に開示した。
学校合同は、O組合員とともに不当解雇阻止緊急対策会議を開き、「解雇要求書」の内容分析と反論を検討した。
9: O組合員と学校合同の反撃
2007年1月2日、O組合員が八街市教委の解雇要求書への具体的で詳細な意見書
(反論書)を提出することからO組合員の2007年の闘いは始まった。
学校合同は、1月4日付けの県教委への緊急申し入れを皮切りに、事態の進展に合わ
せて次々と申し入れを行い、吉川県議の力も借りて、県教委教職員課長との緊急の話し
合いを積み重ねた。
八街市教委の解雇要求書の事実誤認やねつ造などあまりにずさんな内容に釈明を求め、「追加意見書」を出させたが、それも、予断と偏見に貫かれた第2次解雇要求書であり、再びO組合員が事実に基づいた詳細な反論書を出した。
この間、裁判闘争も視野に入れて、弁護士との相談も平行して行った。
10: 全国から支援・連帯の申し入れ
1月16日、学校合同は、全国のこころある労働者仲間に対し、「『指導力不足』を口実にした不当解雇を許さない!共同申し入れ」への賛同を呼びかけた。(2月末で、約50団体と約500名からの申し入れが届いた。)この共同申し入れの提出行動として、4度にわたり県教委への申し入れと話し合いが行われた。
1月24日、 O組合員を呼び出した県教委の判定会が開かれようとしたが、補佐人も認めない密室審議の問題点を吉川県議と全国から集まった支援の仲間とともに追及し、延期させた。
11: 嫌がらせ配転と両親を通した退職強要
1月10日、八街市教委は、O組合員にY小学校への異動を通告。A学校教育課長は、怪文書2通を読み上げ渡す。(「研修体制」がいかにいい加減かを自ら暴露した)
2月7日、O組合員の両親に、知り合いの県教委幹部が学校合同への誹謗中傷とO組合員の退職強要を求める不当労働行為が行われる。O組合員と学校合同は、2月9日に開かれた県教委の判定会で、この責任を追及した。
当初、2月中に「判定結果」が通知されるはずだったが、3月初旬までのばされた。
11: O組合員の職場復帰が決定! しかし、闘いは続く!
やっと3月7日、O組合員に「特別研修」の解除と4月からの学校現場への復帰が伝えられた。
学校合同は、その直後から、O組合員の希望通り八街市以外への異動が実現するように働きかけ、復帰職場でO組合員へ差別的な対応をしないように申し入れた。
県教委教職員課長や北総教育事務所の管理課長は、差別的な対応がない職場に配置すると確約した。
人事異動の結果、O組合員を「特別研修」に送り込んだ関係者のほとんどは、異動してしまった。
そしてO組合員は、八街市内の学校での異動となった。
八街市教委の謝罪がない限り、緊張関係は続くことになった。
O組合員と学校合同の闘いは続きます。ひきつづき、注目下さい。
改めて、あついご支援ありがとうございました。
以上