| ドキュメント・渡辺修孝さんを成田空港で出迎える
イラクで高遠さん、郡山さん、今井さんの3人、続いて安田さん、渡辺さんの日本人人質事件は、5人とも無事に解放されほっと安堵したが、日本国内の世論は異常だった。「国策」に異を唱える者は「非国民」とばかりたたき続ける一部保守系マスコミ、政府のせいで、3人の若者、その家族はつぶされそうだった。首相官邸前の集会に1回駆けつけただけで、何もできない自分が何とももどかしかった。「女性や若者という弱い立場にある者は、おとなしくしていれば同情も引くけれど、目立つ上にお上に逆らうようなことをしたので『生意気だ』と反発を受けたのだ」と私の高校時代の友人は分析していた。
私は、マスコミではただNGOと紹介された、元自衛官で反戦活動家の渡辺修孝さんが所属する「米兵・自衛官人権ホットライン」のメンバーとして、この間、多少関わった範囲で知り得たことを報告したい。
このホットラインは昨年6月に、自衛隊の海外派遣に反対し、反戦平和の立場から自衛官と家族の生命・人権・生活の問題に取り組むことなどを目的に設立され、渡辺さんは会の発足当初からの会員だった。彼は自衛隊でも最精鋭と言われる習志野空挺団に2年間在籍後、死刑廃止や反戦平和運動に携わるようになった。ミャンマーでは志願兵として実戦を経験し、レバノン難民キャンプで支援活動をしてきたが、何の罪もない民衆が戦争の犠牲となる姿を目の当たりにして、生命の大切さに目覚めたという。イラクでの自衛隊の活動の実態、現地の人がどう受け止めているのか自分の目で確かめたいと「在イラク自衛隊監視センター」のスタッフとして2月26日から6ヶ月の滞在予定でイラク入りした。
私は、4月20日に成田空港に出迎えに行き神楽坂で記者会見を開いた時のことを記しておきたい。
渡辺さん達は解放される時に、武装勢力の側から「メッセージは伝えてくれ。自分たちのことは話すな」と言われ約束をしているので、警察の事情聴取を断った。これに対して何とか応じさせようと、外務省の外事課(「外務省の公安」と呼ばれている)は、現地で4〜5回接触してきたが、拒否されたので成田空港で両親と共に出迎える形で事情聴取の部屋に連れて行こうという作戦を立ててきた。外務省の動きが分かったので、出迎える私たち支援者の側は彼が搭降口から出たら、誘導路として設定されているベルト状の柵を外して連れていこうと決め待機をしていた。ところが10時に出てくるはずなのに機内で外務省の職員に足止めをされ、1時間も待たされてしまった。やっと「こちらに向かっている」という情報が伝わり、やや遠方でご両親と対面して話をしているのが見えた後、誘導路をこちらに向かって歩いてきたので「よかったね。お帰りなさい」と声をかけベルトを外し、彼を出迎えることができた。しかし黒山のようなマスコミの人だかりがその周りを取り囲んだため、私達支援者もその渦の中でもみくちゃにされながら彼を追いかけ両親とのやりとりを見守ることになった。結局、小西誠事務局長が両親を説得し、外へ向かって動き始めた。しかし渡辺さんの荷物を外務省の職員が台車に乗せたまま持っていこうとするので、こちらも台車に掴まりながら抗議をしてやっと荷物も確保して、ワゴン車に乗り込むことができた。なんだか久しぶりにドキドキと興奮してしまった。
そのまま午後3時からの神楽坂の記者会見場に向かった。「解放に向け尽力を傾けてくれた日本やイラク、世界中の人々に心からお礼を言いたい。でも絶対、謝る気はない」という渡辺さんの意思を汲んで、小西事務局長が政府や保守系マスコミの謝罪論を批判した。次に渡辺さんが、まず最初「状況認識に甘さがあった」と自分の非を認めた上で経過を報告した。
彼らが捕まってしまったときのいきさつは、安田さんがすでに東京新聞紙上で手記を発表していることもあり、知られているが、ニュアンスのちがいもあるので、載せておきたい。「車で走っている時に、車が数台近付いてきて止められ『米軍のヘリを撃墜したので見に来ないか』と誘われた。その時『やばいな』と直感したが、どうしても写真を撮りたかったので、ついていったところ、武装した男達に囲まれ捕まってしまった」ということだ。
また解放された後「現地に残りたい」といったという話も、事実は外務省の職員に「残ろうと思えば残れるが、どうする」と聞かれたので「残りたい」と答えたのだそうだ。それが、日本に伝わった時には「わがままだ」と大騒ぎになってしまった。渡辺さんは実家に電話をしたら母親から「『残る』なんて、とんでもない。すぐ帰ってきなさい」といわれ、びっくりして職員に「残れるのか?」と尋ねたところ「残れない」と言われたそうである。外務省の巧みな誘導尋問にはめられてしまったようだ。
「死の恐怖を感じた時は?」と聞かれ「どんなに説明しても『スパイだと疑っている者がまだ2,3名いる』と言われたときに感じた」そうだ。
河村文科相が、「覚悟して行くべきだ」などと説教していたが、記者からの質問に「行く前に万一のことを考え、死も覚悟していた」と答えていた。後で聞いたことだが、イラクに渡る前夜「たとえ自衛のためでも、自分は暴力は絶対使わない」と非暴力を貫くことを小西事務局長に語ったそうだ。
この記者会見はほとんど報道されなかった。その夜「ニュース23」に出演依頼はあったが、この会見でエネルギーを使い果たした渡辺さんは出演できなかったのが残念だ。けれども、インターネットでこの記者会見の様子が広まり、若者から「ゲバラのようだ」というメールが届くようになったそうである。
全国各地で渡辺さんの報告集会が開かれることになっている。都内では下記の予定で安田さんも出席して開かれる。是非足を運んで生々しい話を聞かれてはいかがかでしょうか。 (S)
「学校合同」No.75(2004.5.6)より
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